今日本の教育に必要なこと

今日本の教育に必要なのは(自分自身を眺めてみても)、自分で色々な知識をつかみ取り、自分の中に受容していく能力をつけることだ。
情報収集能力を高める、感性を豊かにすると言い換えてもいいと思う。
この能力さえついていれば、自分自身でとめどなく知識を広げていくことができるはずだ。知識が広がることによって、自分の周りを取り巻く状況を把握することができるし、自分は何が好きなのかも把握できてくる。そうすれば、自分や他者がよりよく生きるために社会には何が必要なのかということを考え、行動することにつながっていくだろうし、幅広い選択肢の中から自分の好きなことは何なのか把握して追求することができる。

以前にも書いたが、私が子どもに伝えたいことは、「自分の大好きなことを思う存分追求すること、自分の周りを取り巻く状況を主体的に良い方向に変革していくこと」である。
自分で色々な知識をつかみ取り受容する能力を鍛えれば、これが実現できるのではないかと思う。

だが、日本の今の教育では、自分で知識を広げていく能力を育成できないばかりか、もともと備わっていたものさえ摘み取ってしまっているように感じられる。
学生がよく言い訳する言葉で(自分もだが)「学校で先生に教えてもらわなかったから知らない」などというのをよく聞く。このような発言が飛び出す背景には、勉強は本来自分でやるものということを忘れ、学校で知識を放り込まれることに慣れてしまうというのがあるのではないかと思う。

それでも私はあきらめたくはない。「自分で色々な知識をつかみ取り、自分の中に受容していく能力」は絶対に身につくものである。
常に子どもの興味関心から出発すること、子ども同士で互いに教えあい、批判し合う、このような授業を実践することで、子どもは興味の範囲をとめどなく広げ、論理的思考能力が付き、主体的な行動が身につく。
その実践が、フレネの教育である。
私は今日、フレネの教材を手に取る機会に恵まれ、細部まで詳しく説明をしていただいた。
このことで、私はますますフレネの魅力にとりつかれてしまった。

日本の教育はまず、「子どもは自分から学ぶ主体ではない、必要な知識をすべて整えてあげて外側から詰め込むことが必要だ」という幻想を捨てさることから始めなくてはならない。